最近、社会人2年目の元気マンマンな生徒さんが増えました。

彼女は聡明で活発。だからこそいろいろいろいろ考えて抱え込んで、頭が爆発しそうな感じ。それで一度ヨガをやってみたら、定期的に通ってみたい、と。

彼女の体はいま、とっても固い。それを体からアプローチするのでももちろんいいのだけれど、若さを味方に体はいつでも反応してくれる。

だから、まずは頭のなか、心のなかからスッキリさせてあげることをスタートしています。

 

いろんなものをバッグに詰めるとパンパンになるという当たり前は、人間の体にも、頭にも、心にも当然当てはまります。

違うものをさらに入れたいのなら、いま入っているものを整理して、何かを取り出さなければ新たに入れることはできません。

どこかに向かう準備をしているとき、こんなことが起きた場合にと、あれもこれもと荷物を増やしてしまうことは誰にでもあることです。

でも使わないでただ重くて肩を凝らせるのがオチ。

 

一生懸命生きれば生きるほど、周りが気になるし、何かしないと存在価値がないように感じる。だから情報を集めようと躍起になるし、無我夢中で動き回る。

でも、いまのこの私たちが暮らす世の中では、一見必要だと思い込んでしまう取るに足らない情報や感情が多すぎることを認識すべきではないでしょうか。

FBやInstagramを眺めては周りの活躍や満ち足りた生活に焦りを感じたり、羨んだり、他人の生活を覗き見るのが日常の現代社会。

一生懸命だからこそ、振り回されてほしくないし、その溢れるエネルギーを、自分を疲れさせるために使ってほしくない。

 

頭と心を整理して、本当に必要なものを取捨選択し、いつでもそれを取り入れる準備をする。

それがいま彼女がチャレンジしていることです。

 

「やりたいことと、やらなければならないこと、やってほしいと期待されていること」つまり「なりたい自分と、周りから期待されている自分」の区別がつかなくなってしまう現象は往々にして起きること。

気が付かずに過ごしていて、あるときふとそこに行き当たったとき、自分を必要以上に疲れさせていた原因を思い知る。

気付いたときにはもう遅い、なんてことは絶対になくて、そのときにその線引きをする方法があるかどうかが重要なのだと思うのです。

その方法を持っている人もいるだろうし、どうしていいか思い悩む人もいる。

彼女にとってベストな方法がヨガかどうかは誰にもわからない。

だけど、私と出会ったという縁によって、「ヨガを試してみる」のはいまの彼女にとってベストであると信じて。

 

子供の頃はやりたいことや行きたい場所がたくさんあって、

たくさんのおとぎ話や絵本やアニメから影響を受けていたかもしれないし、本当に自分で考えたことかもしれない。

いまはどうなんだろう。

やりたいこと、行きたい場所、なりたい自分。

それらは子供の頃夢見たそれよりも限られているかもしれない。

自分で限界を決めてしまっているから、というネガティブなアイディアともとれるけれども、

自分自身で考え、選び取れる力がついた、という解釈もできる。

日々の暮らしにおけるヨガはそれと同じだと思う。

他人の意見、メディア、世間体、それらの影響ではなく、真に自分が欲するものを自分自身に問うプロセスがヨガであると思う。

自分の以外の存在を排除する。

その状態に近づくために、今日この日、この時間のこの一瞬の呼吸に集中し、体を使い、細胞ひとつひとつにまで意識を向ける。

そこまで自分と向き合う時間。

きれいにしていると、もちろん汚いものも入ってきやすい。けれどその汚いものが不必要なものかというと、長い人生のなかでそうとも言い切れないようにも思うのです。

それによって深く傷ついたとしても、その感情とどう向き合い、どう対処するのか、そのプロセスを知る重要な出来事になるはず。

どんなに苦しくても辛くても、どんなに悲しくて切なくても、それを解決できるのは自分でしかないのだから。

生きていると、大小あれどいつでも問題にぶつかるし、そんなとき、他人に解決してもらおうなんて思ってもそれだけは絶対に叶わない。

とてつもなく大きな壁にぶつかったとき、どんなに涙を流そうと、取り乱そうと、最終的に自分で自分を助けてあげることができる自分を育ててあげること、その練習だと思うのです。

 

がんばっている彼女を応援したい。

同じようにがんばっているみなさんも応援したい。

自分のことももちろん応援したい。

いま、何もかもうまくいっている人も、どん底のような気分の人も、悩んでいる人も、みんなに届けばいいな。

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