囲碁の人間チャンピオンに2連勝してホットトピックになっているAI(人工知能)。

これからの人間のライバルは人間でなくなっていくのでしょう。

そして、移動中よく聞いているPodcastのバイリンガルニュースでも、ロボットが間違った道を案内しているのでは、と感じる材料が多々あるにもかかわらず、人間はそのロボットについていってしまう、という実験結果のエピソードもタイムリーに流れてきました。

 

んー、本当にすごい世の中になったな〜、なんて呑気なことを言っている場合ではないかもしれないけれど、人間は人間にしかできないことが絶対的に必要なはずであって、で、それを自然と身に付けて生活していれば、AIと人間が競い合うことはないんじゃないかな〜、なんて思ったりしています。
これはもちろん私みたいなあまちゃんの、個人レベルの生活範囲の話であって、ビジネスの世界ではもう本当に深刻な競い合いだということは百も承知で書いているわけなのですが。
人間にしかできないことって本当にたくさんあって、でもその根源はすべて想像力からきていると思っています。
想像力とは、イコール愛だと思うのです。
自分以外の人の感情をぴったり言い当てることは100パーセント無理でも、だからこそ想像して、思いやって、アクションを起こす。
たとえば、Amazonで必要な書籍を購入したら、その後永遠に、関連本がオススメされるけれど、「つまらなかった」という感想を書いてもそのオススメは続きます。
でも人からオススメされた小説があまり自分の好みでなかったら、それを伝える表現も考えるし、そしたらより具体的に好みを伝えたりして新たなコミュニケーションが生まれるし、
そしたら、その好みに合った小説を探して教えてあげよう、と思ってもらえるかもしれない。
そしたら、そのコミュニケーションがお互いの性格や人間性をより理解しあえるツールになる。
それが、大切な人であればあるほどいろんな想像力を働かせようとしてその人を考える時間が増えて、愛が大きくなっていく。
たとえば、ヨガを教えるとき、生徒さんにその日の体調を聞くのは、単にその生徒さんの答えだけを求めているわけではなく、声を聞き、顔を見て、表情を見て、観察する材料のひとつになるわけで、
自分自身で気がついていない何かがあったり、本当は少し調子が悪いかもしれないけれど言うほどじゃないと思っていたりするかもしれない。
それを感じとるには、やっぱり想像力であり、ヨガをすることで気持ちよくなってほしいという愛からくるものなんです。
愛なんて大それたものだと思っていたけれど、そんなことなくて、世の中、愛に溢れているし、小さな日常の愛が積み重なって、世界が動いていると思う。
先日初めてフルマラソンに挑戦して、
沿道で見ず知らずの方たちが、チョコレートやオレンジを私たちランナーに差し出してくれたり、エアサロンパスを何本も用意してくれていたり、
本当に無償の愛!!!
声援をくれるだけでも力になるのに!
そんなふうに想像して、感じて、コミュニケーションをとって、愛情を注いで、
そこに人と人とのぬくもりがあるんだと思うのです。
でも、それがひとりよがりで、
いいことをした!という自己満足とか、いい人だと思われたい!という見栄だったり、低い次元のエゴだと、AIで十分なのかも知れないとも思うのです。
そのエゴには、実は愛がこもってないことが多いから。
私もそんな風にいいかっこしたい願望はあるけれど、
それはエネルギーの無駄遣いだと、師匠のマイラのもとでの修行で気が付き、愛のないパフォーマンスはやめることにしました。
でもその境目が難しい。
でも、自分の気持ちに正直になればけっこう簡単なことだな、とシンプルに考えられるようになってきたし、
自分を良くみせようという気持ちも自然と小さくなっていってるように思います。
そうすると、他の人の愛情ある親切も見分けられるようになってくる気がするんだよな〜。
それで傷つくこともたくさんあって、そこから人それぞれの学びがあって、それさえも人間であることの勲章だと思ってます。
つまり、その過程すべてが、人間にしかできない想像とコミュニケーションの世界なのではないかと思うのです。
これからどんどんAIの研究が進んで、映画のように人間と同じように感情や愛情を持つAIが生まれるかもしれないけどね。
そしたら人間とAIの恋が始まるね。
flower_hp

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